第1回 歌人もすなる一首評というのをひとまずしてみんとてするなり(2)
続きまして2首目。
(う)次はこの歌で行ってみたいと思います!
乳房まで湯に浸かりおり信じたいから測らない水深がある
(の)うるしはらさん的にはどこに惹かれる感じなん?
(う)そうね、最近上の句*2と下の句*3の関係性について非常に関心がありまして、
(の)あれかな、よく歌作ってるときに、なんか全然まとまらなんくなって「上の句と下の句がスキゾ〜〜*4」みたいな
(う)そうそうー、歌会でもよく言われる例の。上の句と下の句の内容が離れすぎてると、「面白いけど意味のつながりがわからんかったー」ってなる。
でも、逆に内容が近すぎても「上と下で同じこと言ってしまってるからもっと変えたほうがいい」って言われるあれです
(の)つまり短歌っていうのは、上の句と下の句との間に飛躍を生み出す作りになってると
(う)実際に、この歌を読んでみると、全然飛躍がないように読めちゃうのね。でもよくよく考えたら、別々のことが語られている。
それを一つのこととして読めるっていうのは、短歌が定型*5で上下の句をセットで読むっていう約束が大前提になるわけだけど、それを支えるのは「湯」の感覚が上下にわたって流れているからで。だからこそアナロジー*6として、物事の見えない部分へと思考が飛んで行ったことがわかる。
てかね、信じたいから測らない水深がある、めちゃくちゃいいなって思うわけ。亜々子さん*7!って
(の)「湯に浸かりおり」だからさ、湯にさ胸のあたりまで浸かってるってことは、ある程度、深いよね
(う)深い
(の)ある程度の深さというのが、もうすでに自分にわかっている上で信じる。それも無根拠に信じる。そもそも信じるっていうのは、わたしは無根拠に行われることだと思うから、だからこそ測らないんよね。測らなくても信じられるってことやん?
でもわたしこの歌は、一読して飛躍があるって絶対感じきらんと思うなー
(う)そう、自然に繋げちゃうんよね。でも、自然に繋げちゃうのはなぜなんだろうなって考えたくって。
短歌って実際こういう作りのものがすごく多いよね
(の)あれだよね。普通小説だったら、上の句と下の句で言われていることをつなぐためにもっと描写がいるよね。
「湯に浸かっていて」、
(う)「それで私は考えたんだ」みたいに、文章が情景から心理描写に入るためのワンクッションがあって、この下の句みたいな隠喩的なフレーズを置く場合がおおいよね。
更にそのあとに「私は相手を信じたい」みたいな直接的な感情の吐露が来たりして。
(の)そんでその小説がうまければうまいほど、情景描写*8で心理描写までできると。
でも短歌は、どう頑張っても、入んないから笑
(う)31文字しかないもんね笑
(の)だからこういう飛び方をする。
あー、だから普段短歌を読まない人は、短歌に出てくる飛躍につまづいて読めなくなるんかもね。
でも、この歌はこの飛躍がよくって、一首の中で「湯」に「浸った」ときに感じる「水深」を「測る」、という言葉のイメージが展開されている。
あと「乳房」って女性のシンボルとしても捉えられるけど、どう? そうすると男性性を必要としそうなんだけど
(う)どうなんだろう〜? そこまで限定せずに読んでたけど
(の)でも結局信じるって、なにか信じる対象がいるんやない? 信仰対象というわけじゃないけど、対象なしになにかを信じれない気がする
(う)その信じたい対象が、男性であるとして読むこともできるよね
(の)男性に繋げてしまえそうよね。
とは言ったものの、結局水深って距離だから、心の距離→男女の関係っていう読みもできるとは思うけど、でも必ずしも男性性的なものがいるかと言われるとそうでもない気がしていて。
まあ生活してたら、やり過ごしていくのにあえて白黒はっきりさせんでいいことがある
(う)あるある
(の)とにかく、湯の深さはなんらかの関係ついて言ってるんじゃないかって思わせられる
(う)作中で語られるものの関係性を考えるときに、想像しがちな関係性ってあるよね。たとえば、「恋人同士」とか。それは31文字という短い中だから起きてしまうことかな
(の)でもなんかこの歌は、たぶんそこまで限ってないところが、湯というか水の形のなさにあわせて立ち上がってると思ってて、そこが絶妙な気がするんよね
(う)そして、この「信じたいから測らない」っていう把握*9がすごくよくって、意志が強いよね。信じたい→測らない
(の)強いね
(う)ただ意志の強さが、押し付けがましくなくて、それは上の句と下の句でいったん切れてるからだと思うのね。
例えば、「浸かっていて」みたいに接続助詞*10でつないでいないところがいい。論理*11ではつないでないところが、この歌が心に馴染む理由だと思う
(の)なんだっけ、「ロジカルに展開しない」ことについて何かで読んだんだけど。
あ、こないだの「短歌のピーナッツ」*12で取り上げられてた、歌壇*13ビック3による斎藤茂吉・考*14で出てきてた
(う)そうなん?
(の)「プロセスを抜いた詠嘆だけがある、それも大詠嘆」のくだりとかね、わたしは好き
といったとこらへんで、ではひとまず。
(う)本当、私生田さんの歌をもっと読みたい!です!
今回の取り上げた短歌の出典:
生田亜々子「生きているものに降る雨」(第7回中城ふみ子賞佳作)、2016、「短歌研究」2016年8月号
- 出版社/メーカー: 短歌研究社
- 発売日: 2016/07/21
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*1:いくつかの短歌をまとめて一連の作品としたもの
*2:5・7・5の1〜3句目までに当たる部分
*3:7・7の4〜5句目までに当たる部分
*4:ここでは「上の句と下の句がバラバラになってしまった〜〜」の意
*5:形が固定されているの意。短歌は57577の31音からなる、みたいな
*6:類推。知っていることを元に知らないことについて考えるやり方
*7:生田亜々子さん。この歌を含む連作の作者
*8:その場の状況を描写すること
*9:一般用語的短歌用語の一つ。「物事の認識のあり方」的なニュアンス
*10:文と文とつなげるために使う助詞。「て」なんかは接続助詞の代表ポジションではなかろうか
*11:「AだったからBだった」みたいな展開の仕方のこと
*12:男性歌人3名による歌書(かしょ。短歌や和歌についてとにかく書かれた本。歌論書とか)について取り上げたブログhttp://karonyomu.hatenablog.com
*13:文壇の短歌バージョン