カフェオレと方眼紙

ちょーけっしゃ短歌ユニット「うるしのこ」が短歌よみます

第1回 歌人もすなる一首評というのをひとまずしてみんとてするなり(1)

みなさん改めましてこんにちは!
ちょーけっしゃ短歌ユニット「うるしのこ」です。

日ごろ短歌を楽しんでいる二人なのですが、のつの呼びかけでユニット組んでは見たものの、なにをすればいいのだろう??ということになり、とりあえず某日某所にて第1回ガールズトークってみました。

今回はそれぞれが好きな短歌を3首*1を持ち寄って、まあ気ままにしゃべり倒しました〜〜!


それではまず1首目から。

(の)というわけで、どれがいいかなあって考えたんだけど、とりあえずこの歌から行きたいと思います。

きょうがその日です
生きてゆく 返しきれないたくさんの恩を鞄につめて きちんと

(の)なかなかむずかしい歌を持ってきてしまいました。
(う)どうしましょう笑
うーん、 私はどうしてもこの歌を読む時に、この人の名前*2や人生*3を知っているから、どうしても帰ってこないものとしてセンチメンタルに捉えてしまうところがある。
「きょうがその日です」*4ってどういうことだろ?ちえこさんは、なんでこの歌選んだの?

(の)わたしは、作者のことを知らずに歌集*5を読んでいって、それでこの歌がいいなと思ってノートにも書いたんよね。
でも作者のことを知ると、やっぱりセンチメンタルになっちゃうよね

(う)ということは、初読はセンチメンタルさを感じないほうに読んだってこと?

(の)うん。とにかく「生きていく」ということを考えていったとき、わたしたちは返しきれないたくさんの恩を持っている。
それをただ散らかしたままではなく、自分の持ち物として「カバンに詰めて」生きていくというところに返す、そういう姿勢が好きだなあって思ったんよね。
でも作者を知って読む、ここまでして生きてかないといけないのかな?って気持ちもちょっとね、あるよ

(う)これは実作してる*6上での勘でしかないけど、本人としても、ただの同情や感傷ではない部分で読んで欲しいんじゃないのかなあ

(の)私はこのそれぞれの一字あけ*7に、整った呼吸を感じるんだけど、でもこの一呼吸でああこの人は決めちゃったんだな、しかも到底そこにわたしは届かないんだなって感じるとかなしい。
しかも「きょうがその日です」って始めちゃったんよ

(う)一点に収束する悲しさがあるよね

(の)決めることによる決別感がすごくて

(う)短歌の57577というリズムはなくて、上から一気に結句*8まで読みくだしていくのでもなくて、字開け*9によって「生きてゆく/返しきれないたくさんの/」というふうに呼吸が分けられている。
ここに、なにかあるよね。呼吸を整えて終わりに向かっていくような。なにか。これがあるから単なる感傷を拒否しているように思えるのかも。 
いや、私こういう歌を評するの苦手だな。誰がどうみたって正しいから。

(の)読みなんだけど、こういう姿勢で生きていきたいなでもいいんやない?本質的かはわかんないけど。
きちんと読むためには、ある程度読む経験が必要になってきそうで、でも初めは、変わった小説を読んで不思議〜っていう感覚と同じでいいと思う

(う)『やし酒飲み』*10読んで意味わからんけどウケる〜みたいな笑

(の)そう!まずはそういう感覚の読みでいこ笑!

(う)私、この「つめて きちんと」の句割れ*11が好き

(の)ここいい。決意の表れだよー

(う)「きちんと詰めて」ということの単純な倒置*12じゃなくて。この結句のあとにもう一度「生きていく」という語句が隠れている。
だからここでもう一度初句の決意が繰り返されてる気がする。その決意はある種、悲痛にも思える。
だって普通さ、気がついたら生きてるわけで、ちえこさん生きようって決めたことある?

(の)ない。だってもう生きてるもんね笑

(う)自分の意思とは関係なく、誰がなんといっても私たちはすでに生まれてしまっている

(の)だからあえて「生きていく」って言うと、どうしても宣言に見える

(う)だって、死なないかぎりは生きるしかないもんね

(の)その上で宣言しているわけで、切迫感?なんか生きないとなって感じがあるんよね

(う)そうやってわざわざ、言葉にしてこの周りの人に伝えないといけなかったんやね。これって『てんとろり』*13だっけ?

(の)『てんとろり』(ここで『てんとろり』を出す)。歌集の連作*14の中の1首で読むのと、ただ1首で読むのは違うんだよね

(う)連作だと明らかに療養中ってわかるからね

(の)短歌を読むときに、やっぱり文脈の量で変わってきちゃう。もちろんそれは、あとからこんな意味で成り立ってたんだっていう短歌を読む面白さでもあるんだけど

(の)あとちょっとこれ前からの疑問で、本来、作中主体*15*16=主人公だと思うんだけど、作中主体=作者?みたいなのやっぱ変だよね

(う)新人賞*17でも、作者なのか作中主体のことなのか、とりあえず性別当てが恒例だもんね?
その両者の区別ってあいまいにしたまま語られやすくって。岡井さん*18が「作品の背景にただ一人だけの顔が見えることが短歌の私性*19だ」って言ってた*20けど

(の)うーん、でもあれじゃない? 作品と作者の間の作中主体(主人公)を取っ払ったように語るっていうのはなんだろうね。
たとえば、キリスト教カトリックはさ、神様と私たちの間に神父というワンクッションを用意することで、神様という目に見えないものを受け取りやすくしたと思うんだけど、仮に神様がわたしたちに直に投げつけられたら、逃げ場がなくてつらいよ!
だから作品上に現れた「私」=作者って捉えると、作者が「私」を含んでいても「私」は作者全てを含まないから、そこで区別が付いてないと苦しいなあ。
もっと明確に作中主体を媒介として使っていくぐらいでもいいと思うんよね。だってフィクションだし!!そうしないと正直、作品と一体化しちゃって距離取れないもん笑 

(う)言葉がすでに外側になって経由しているということを、短歌ではどう考えてったらいいんかな? なんか話広がってしまったのでいったんここで。

今回の取り上げた短歌の出典:笹井宏之『てんとろり』、2011年、書肆侃々房

てんとろり 笹井宏之第二歌集

てんとろり 笹井宏之第二歌集

*1:短歌の数え方は1しゅ、2しゅ、3しゅ

*2:笹井宏之。2009年、26歳の若さで亡くなる

*3:難病を患い寝たきりの生活だったという。いずれもWiki出典

*4:短歌の前についている文章を詞書(ことばがき)という。短文が多いけど、むっちゃ長いのもあるらしい

*5:短歌ばっかり載ってる本。俳句ばっかり載ってる本は句集。詩ばっかり載ってる本は詩集

*6:実際に作っているの意

*7:短歌を表記するときに5・7・5・7・7の部分でそれぞれ区切って一字あけてるものを見かけますが、あれは実は少数派

*8:5句目のこと

*9:句と句の間を空けること

*10:アフリカの作家 チェツォーラの作品。神話のようでいて、とりあえずなんかぶっ飛んでる

*11:句の終わりでないところで文が終わっているもの

*12:倒置法の意。「私は食べた、ごまさばを」みたいなやつ。

*13:笹井宏之第2歌集

*14:特定のテーマやモチーフに基づいて詠んだ歌を並べる形式。新人賞とかはこのタイプにしたものを応募する

*15:短歌でよく出てくる用語。ここ、テストに出ます。

*16:むしろあんま短歌以外で聞かないような

*17:短歌にも新人賞があります

*18:岡井隆、現代短歌のレジェンド。ばりすごい人

*19:短歌でよく出てくる用語その2。ここもテストに出ます

*20:出典ですが、とりあえずググったらいっぱい出てくる。『現代短歌入門』などで出てくるらしいです