カフェオレと方眼紙

ちょーけっしゃ短歌ユニット「うるしのこ」が短歌よみます

うるしのこ、宇都宮敦『ピクニック』を読む・その6

読んでいる歌集『ピクニック』

ピクニック (gift10叢書)

ピクニック (gift10叢書)

《う》今回は私、漆原の20首選です。「歌集を読む」上では作品の傾向をバランスよく引いていくのが、作品の軸を歪めないフェアな方法ではないかと思うの。最初はそうしようとしていたのだけども。

〔の〕だけどもだけど。

《う》この歌集は読んでいると心が高揚するし、そういう高揚を人と共有したいという気持ちがおきる作品群なんだよね。とりわけ、ちえこさんと好きな短歌の話をするのは楽しいので……

〔の〕ふ〜!※照れているのつ※

《う》結局、私の「好き」を優先して20首を引いたよ。ふふ。とくに最近巷では音楽配信サービスの影響からかプレイリストを作るのが流行ってるでしょ。

〔の〕うんうん。

《う》なので、これもピクニックのおすすめプレイリスト20曲みたいなイメージです。偏りについてはご了承ください。

〔の〕へき はしょうがない。

《う》そういうことだね。では、まず1首目。

1.かろうじて

かろうじてボックスステップなら踏めるから夕立のすぐにでも行く*1

《う》これを一番最初に見たのは「ねむらない樹vol.1」で発表された「ギブン・ソングス」と題された連作の中だった。贈られた歌、もしくは好きな歌かな、そのタイトルがもたらす音楽という光のなかで読むことに、特別な喜びをおぼえていたのよね。そこで読む、ボックスステップという動作がよくて。今回、歌集では編み直されていたから、ちょっとさみしかったところでもある。

〔の〕今言ってくれた「音楽の光の感じ」、というのは前の連作を読んでいて感じたこと?

《う》今の、光というのは比喩として言った。ギブン・ソングというタイトルが添えられたときに一首一首を照らし出すものがあると思うの。夕立には音響があって音楽性も感じられるし、ソングというタイトルを添えられると、より意識する。

〔の〕おー、なるほど。

《う》この歌集では「この星の夜」という連作になっていて、それはそれで一首ごとに座標軸を与えてくれるようなところがあるんだけど。ごめん、いきなり枝葉の話から入っちゃった。

〔の〕この歌の中で、自分に響いたポイントってどこ?

《う》順にいくね。まず〈かろうじて〉という入り方! 「Aはできないが、かろうじてBはできる」といった風に、なにか対照にされるものが前提にあって使うことが多いと思うんだけど、いきなり〈かろうじて〉と入ってきて、なんだろうと歌の世界に引き込まれる。その後、さらに〈ボックスステップ〉という語に意表をつかれつつ字余りに翻弄されつつ、ひとまず〈踏めるから〉と来るから、この作品における掴みどころというか、論理展開を予感しながら読んでいくと……

〔の〕〈から〉で接続すると、三句目の内容が理由にあたるのかなって思うよね。

《う》そう。でも〈夕立の〉という場面を規定してくれる語が出ても、後続は〈すぐにでも行く〉。全然論理では回収できない次元から、はやる気持ちが出てくる。……もう、この展開に読んでいてどきどきしてしまう。
で、この〈すぐにでも行く〉という気持ちをどう読むのかとなったときに、2句目が鍵で、はやっていても焦りではなく弾むような気持ちということが〈ボックスステップ〉という語から立ち上がってくると思うんだよね。

〔の〕あー、私もこの〈ボックスステップなら踏めるから〉をどう取るといいのか考えてた。わたし昔ダンスをやってたんだけど、基本的にボックスステップってこういう動きじゃない。
※右手人差し指と中指を交互に動かしてステップを模した動きをするのつ※

《う》うんうんうんうん!
※動きにうなずく漆原※

〔の〕・《う》 基本的に進まない!!!
※笑い出すふたり※

〔の〕そうそう。だから、動いてはいるがその場にとどまっている。前にはいかない。けど、そういう状況でも〈かろうじて〉このステップなら踏めるってきたところで、〈すぐにでも行く〉という決意、心の飛び出し方が表現されるのがすごく特徴的だなと感じた。そこに、この歌集評通して何回も言ってるんだけど、びっくりするというか、いきなり裏切ってくるこの感じに驚きがある。

《う》心の飛び出し方! ほんとそう。

〔の〕それで、〈かろうじて〉はさっき言ってたみたいに説明的というか、なにか前提があって導入される接続詞だよね。でもここでは、なにかしらの論理が展開されるのではなくて、心情が展開されることが面白いなあと思う。

《う》だねー。そうそう、それとね、さっき実演してくれたボックスステップの動き。それが、夕立が路面に跳ねている様子ともどこか重なりあう。直接には描写していなくても、語の相互作用によって光景を立ち上げてくるところが巧みだと思う。

それから、韻律もとても効果的。ボックスステップって8音だし、発音上も引っかかりがあるからそこで停滞するじゃない。切り方も定型に寄せるか意味のかたまりに寄せるかでリズムが揺れる。でも、文としてはまだ切れないまだ切れない、ってぐんぐん結句にむかっていく。そこで、読んでいる側も昂ぶってくる。

〔の〕なるほど。わたし、〈夕立の〉の「の」には「夕立が止んだら」っていう省略があると思っていて、だから、上がったら〈すぐにでも行く〉ということだと読んでいたのよ。その、動こうとしてすぐには行かない感じから、「の」でぎゅっと凝縮してタメて、〈踏めるからすぐにでも〉って出発の感じがくるのはかなり心情に結びつけられると思う。

《う》そう! この歌は意外性のある語彙と短歌的な語法を使ってるんだよね。特にこの「の」はとても短歌的な、ファジーな「の」だね。いろんな語と連関しうるかかり方で文が続いている。私は、「(他のダンスは無理でも)ボックスステップなら踏める、そのような夕立のさなかすぐにでも」という解釈もありうると思ってる。ひとつに定めようがないけど。

助詞「の」をどう捉えても、〈踏めるから〉と自身の外側に向かっていく手応えを感じている点や、〈すぐにでも行く〉の「にでも」からは、この人の内心で、「すぐ」というべき瞬間が今、今、と迫ってきているのが伝わってくる。

〔の〕うん、「すぐに行く」だったら軽いよね。宇都宮さん、助詞で細かく気持ちを込めてくるのが特徴的だよね。

《う》ね~!!※助詞に萌える漆原※

というところで、次に移ろうかな。私は、宇都宮さんの歌のなかにある都市のにおいが好きで。こんな歌です。

2.歩きつかれた

歩きつかれた平たい夜にプールくさい君との記憶がひとつあること *2

《う》長いこと君と歩いていた、と。〈平たい夜〉という言い方がポイントで、平たいというのが、まず地形としてなだらか・平坦ということを読者としては想像するし、また一方で、平穏な夜、特別なことはなにもない日常性も想像する。それに字面からは、平日という印象も喚起し得る。たっぷりとイメージを含んだ、詩的な語の使い方だと思う。

それで、そのあとに〈プールくさい君との記憶〉と続くことで、地図上の道みたいに平面的だった夜が、水深……空間的広がりを持ちはじめる。その空間性をおびたものが、さらに〈記憶〉という、過去にむかう時間的広がりを持ったものへと受け渡されて行く。このイメージの受け渡し方が、読んでいて魅力的だと思う。

それと、夜という語。ざっくりと〈夜〉という語がくると私の場合はまず闇を想像するんだけど、ここでは直接の修飾関係になくても〈プールくさい〉が響いてくるから、透きとおった闇を想像させられるんだよね。

〔の〕へえ~!

《う》〈君との記憶〉が具体的にどういうものか読者が立ち入ることはできなくても、その装いや質感でもって記憶を共有させてもらえる。

〔の〕なるほどね。〈平たい夜に〉というところ、私は起こる出来事の起伏がそんなにない日々の、ずっと続いていく、感覚として取ってた。

〈歩きつかれた〉というところから、これまでも歩いていて、休憩するわけでもなく、ずっと続いている。ということは、これからも連続していくということが予期されて。その連続性のなかで、激しく動く出来事がないような夜に、なんでもない一種の倦怠感とともに記憶が現れる感覚。

この感覚が、この景色のタイミングで出てくることのリアルさに、ふっと歌の中に入ることができて共感する。わたしはふとした瞬間に記憶が脳裏にあらわれることが多いから、気持ちをこの歌に乗せやすいんだよね。

で、こういう夜に〈プールくさい〉と嗅覚が入ってくることで、質感が増す。

《う》そうそうそうそう、すこしツンとして、湿ってる……!

〔の〕ここで、〈プールくさい君〉なのか〈プールくさい君との記憶〉なのかという修飾の問題があるんだけど、この両者が出てきたときに〈プールくさい君〉が記憶全体にまで広がるという感じで、どこにかかるかというより、「かかりながら広がっていく」感じだと見てる。

記憶があること、が主体にとっての落としどころで。「それがある」ということに、実存というと大げさなんだけど、主体のまなざしや心寄せがあるというように読んでいます。

《う》どちらにかかるかではなくて、かかりながら広がっていくというのは、まったくその通りだと思う。

記憶と嗅覚って、連動しやすいものじゃない。においが身体に入ってきて過去を思い出す現象。語の修飾を読んでいくと、におい→君という実体化を経て記憶になるから、より生の手触りがある記憶として主体の身体に復元されている。

それと、歌は、「記憶がある」以上のことは語ってない。その沈黙がかえって読者を惹きつけるね。

〔の〕必要以上に語っていかないところってあるよね。

《う》語るほど失われるものもあるから、ね。

〔の〕ぺらっとしてしまうよね。

3.それでいて

それでいてシルクのような縦パスが前線にでる 夜明けはちかい*3

《う》縦パス、ということはなんらかの球技の試合を観ている状況と思われる。

〔の〕うーん、サッカー?

《う》私もサッカーを念頭に置いた。ちえこさんの引いていた歌

オーロラの下うごけない砕氷船 とりあえず とりあえず踊っとく? *4

うるしのこ、宇都宮敦『ピクニック』を読む・その1 - カフェオレと方眼紙

にも通じることなんだけど、この主体はコート上にはいないと思ったんだよ。テレビ観戦しているにしろ、スタンドにいるにしろ、縦パスが見通せる状態の俯瞰図でないと〈縦〉という方向感覚にはならないし。

主体は試合には関与していない感じがして、その距離感にこの歌集の気分を感じています。
でね、この比喩が好き。すーっと縦パスがコート上を通っていくなめらかさが〈シルク〉という素材を用いた直喩で表現されていて、映像性が高い。

〔の〕うん、うん。※不思議そうな表情をするのつ※

《う》あ、今言った「映像性が高い」というのは視覚を喚起するだけじゃなくて、直接見ているものではない、ということです。実際の現場で体感するであろう速度よりもずっとゆっくりと言葉が使われているから。上の句をたっぷり使った修飾を経て、縦パスという語が出てくるところとか、〈それでいて〉というなにかを迂回した入り方とか。

〔の〕あ、実はわたし、シルクのような縦パスっていう比喩がどういうことなのか取れてなかったんだよね。

《う》あ、ほんと?

〔の〕うん。縦パスのシュッて駆け抜ける感じと、シルクの艶めきの連関がよくわからなかった。

球状のものがシュッと動くのとシルクのなめらかでつやがある質感。質感からイメージを結びつけてとらえようとしたわたしの読み方だと、どうしても景を浮かべるのが難しかった。

ただ、なめらかにスムーズに通る、しかも優雅な感じで縦パスが通っていく、というところを言われると、ひとつ読みとしてなるほどなと思うところがあって。だから、ここでは比喩がどこまで読めるかっていうのが歌の鍵なのかなあと思う。

《う》うーん、私が、この歌を一読したときに見えたものを言うと、シルクの表面をすべっていく光。その光の動きが縦パスのすーっとした動きとつながっていくと思ったんだよね。

〔の〕あーそれだと、結構省略の表現がある感じだね。〈シルクのような〉というと、シルクという布そのものを想像するんだけど、いま言ってたのはシルクという布を見たときに見えるものじゃない? わたしは、この語句をそのままに読んでいるんだな。この表現自体が一つの比喩だから。

《う》そうだね、縦パスっていうものが動的なものだから、シルクっていう静物とどう結びつけていくか、となったときに、光の動きを見出したんだろうな。

〔の〕ほうほう、なるほど。

《う》えっと、それから、どう言おうかな、結句の〈夜明けはちかい〉。ここまではいわばカメラアイだったんだけど、この独白で、時間帯と知覚している人の存在感が出てくる。

〈ちかい〉けれど目の前にあるわけではない〈夜明け〉。ここで、前の文とは少し位相が変わって言葉がむきだしになっている。

試合を観ていたところから、一字開けを経ることで、夜明けを感受するまで主体の視点が引く。個人的には、球のイメージもあるから……ボールが地球にオーバーラップして俯瞰よりさらに遠くなるイメージ。

なのに、言葉だから、心に直接なにかが近づいてくる感覚があって、読んでいて離人のときみたいなへんな気分になる。

もっと単純に時間の経過を受け取っていいと思うけど。うーん。

〔の〕俯瞰で観ているというのもわかるよ。でもわたしは地球とかまで大きく捉えていなくて、単に〈前線にでる〉の動きが捉えられるぐらいの俯瞰。〈でる〉だから、まだゴールにはいっていないわけよね。もう少しでゴールにたどり着く、その手前。その連関から〈夜明けはちかい〉が引き出されたのかなあというくらいの捉え方をしてる。

《う》そのくらいのイメージの結び方が有機的でいいね。

〔の〕ただこの〈夜明けはちかい〉は、なんらかの含みを持ち得るよね。

《う》うん。2つある文が互いを規定しないからかな。といっても、たとえば日本の夜明け、というときのような象徴までは広がらない。本当に夜が明けるときの〈夜明け〉。

〔の〕そうね、象徴性ではない。で、気になったのは〈それでいて〉。これも接続の言葉だから、なにかがあった上で〈それでいてシルクのような〉とくるのが本来だよね。でもこの〈それでいて〉は時間を引き寄せるというか、そこまで深い意味はなくて、結句の景色に渡していくつなぎの語という感じかな、と思っている。

そうなってくるとやっぱり比喩をどこまで読めるかが鍵なんだな。そこが読めてよかった。


漆原選20首はまだまだはじまったばかり。春爛漫のピクニックはつづくよ。

*1:p219

*2: p75

*3:P119