うるしのこ、宇都宮敦『ピクニック』を読む・その2
はじめに
- 作者: 宇都宮敦
- 出版社/メーカー: 現代短歌社
- 発売日: 2018/11/27
- メディア: 単行本
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つづきまして
〔の〕4首終わったのですが、最後にちょっと触れた「フラットな受容」というところで次の歌にいってみます。
5.目をふせて
目をふせてあらゆる比喩を拒絶して電車を待ってる君をみかけた *1
〔の〕これもそういう歌だと思って読んだんだよね。そのままに受け止めているというか。
《う》そうかな?私は、むしろ主体側の君に対する見方が強く出てると思うんだ。〈君〉にかかる修飾もとても多くて。
君の行為だけみるなら、「目を閉じてホームにいた」ということで、様子の受け取り方は人それぞれになりそう。
この主体にとっては、厳しい様子に見えたんじゃないかな。
〔の〕うーん、なんていえばいいんだろう。確かに〈君〉をこのように形容するのは主体の考え方に他ならないんだけど、結句〈見ていた〉からは、それ以上踏み込んでこないというか、その拒絶している態度を「なにしてんの」って非難もしないし、「わかるよ」って共感しにもいってなくて、是非を判断してこない感じがある。
《う》そこは確かに。価値判断はなさそう。
〔の〕なんか拒絶したような態度の人って腫れものに触る感じで近づけないじゃない。むしろ遠ざけたいもので。
でもただそのようにあることを見ていた、というのがまなざしとして印象的だなと。
《う》そうか〜。それでもこの歌についてはフラットとまでは思えなくて。
〈君をみかけた〉で終わって、目撃した私を登場させている。
だから、〈あらゆる比喩を拒絶して〉いるのは主体が感じたことで、「本当のところはわからないけど」という但し書きが結句にあるように思うのよね。そういう点では、フラットとは少しずれるかもしれないけど、「自分の見方が絶対だ」って押し付けてくることはない、とは言えそう。
〔の〕なるほどね。この私がいうところの「フラットな受容」だと思った歌がほかにもあって、20首のなかだとこれかな。
6.またあんた
またあんた変な帽子をかぶってと言われた 脱げとは言われなかった *2
※ツボにはいったらしい漆原の反応※
〔の〕これなんかすごいなと思って。「脱げ」とは言われなかったんだよ、「変な帽子かぶって」とは言われたけど。
《う》そうだよね。
〔の〕「変な帽子かぶって」とは言われたけど、「『だからダメですよ』ではなかった」ということ、が「『脱げ』とは言われなかったんですよ」っていう四・五句で言われる。
でももしかしたら〈変な帽子をかぶって〉って言った人は、「いや脱ぎなさいよ」っていう含みがあったかもしれないんだけど、主体は「いや脱げとは言われなかったんだ」って状況を設定し直すじゃない? だから価値判断を、価値判断なのかなんだろう……なんだろう??
《う》言葉の通り受け取ってるよね。
〔の〕てことは素直なのかな……(困惑)
《う》どうだろう、この四・五句目があるってことは、一瞬「脱いだ方がいいのかな」っては思ったんだよね。
〔の〕そう、でも「脱げとは言われなかったしな」って思い直して脱がない。脱がないというよりは、今後もかぶっていくと。
《う》そうね、かぶるね。「また」とあるから、これまでにもかぶってきたんだよ。
〔の〕自分でもちょっと変な帽子とは思ってて、「変な帽子ではあるが」禁止されるほどの変さではなくて、またかぶる。
《う》この上の句にあるような発言って、家族とか近しい人に言われがちだよね。距離が近いがゆえの明け透けさってあるじゃない。
それで主体はちょっといじけているよね。
〔の〕ふふ。ちょっとね。〈言われた〉・〈言われなかった〉って放っていく感じがなんかちょっと含みある。
《う》〈とは〉の感じとかね。聞いているけど譲歩もしない。
〔の〕そうそう。やっぱり読んでて歌のベースというか心のモードとして「価値判断を含めない」というのはキーワードのように感じるなあ。
《う》そっかそっか。この作中主体はにくめないな〜。
7.コンビニへ
〔の〕さて、このあたりで相聞歌ぽい歌にいってみましょうか。
コンビニへ いつものようにざっくりと君は髪ごとマフラーを巻く *3
《う》ああ〜、いいね……!
〔の〕これはよさだよ。マフラー巻いてるから、たぶん冬かなと。それでわりと近くにあるのかな、コンビニに行こうとしてて。〈いつものように〉が出てくるから、よく行ってるコンビニだろうと。で、かつ〈いつものようにざっくりと〉へと流れる。
〈ざっくりと〉が〈髪ごと〉につながることで、ここのざっくり感が補強されて、自然体の感じにいくのかな。ようはその人(相手)にとってはいつも通りのことなんだけど、主体はそれを「ざっくり」とした捉え方ながら、ちゃんとディティールを見てるところがよさというか、まなざしがある。
〈いつものように〉だから習慣性を帯びていて、「習慣性」というキーワードに対しては、「ともに過ごしてきた時間」のことが言われがちだと思うのね。でも習慣性を帯びるということは、次第にそこに対する注目がなくなっていくこともあることを踏まえても、ちゃんと見ているんだなって思う。
《う》常に新鮮に相手を見る、ということ?
〔の〕そうそう。
《う》私も〈ざっくり〉という言葉が効いてると思う。コンビニという場所のラフな感じとも合ってる。
それに、マフラーも長くて厚手で、首のまわりを長い髪ごとぐるっと巻いて、ちょっとだけ顔が埋もれちゃうところまで見える。こういうの、特別ではないけどかわいい。いいシーン。
〔の〕この生地感はですね、わたしもやっぱり、厚いと思っていて!※声に力がこもるのつ※
《う》思うよね!
〔の〕ざっくりとだからかな。ざっくりではあるんだが、ちゃんと巻けてる感じ。布の大きさとか含めて。
8.水玉の
〔の〕あと恋の歌だとどれだろう。
水玉のひとつひとつがよく見るとドクロマークだ あなたが好きだ *4
〔の〕いやすごいなと思って。私はこの歌、〈君のかばんは*6〉の歌の延長にあると思ってて。
《う》えっ、ほんとに? かばんの歌は好きなんだけど、この歌のドクロのとりかたがよくわからなかった。メメント・モリ的境地から、愛の告白??? 上の句と下の句の電位差がすごくない???
〔の〕えーと、わたしは、あなたが着てる服が遠目から見ると水玉、ドット柄に見えるんだけど、近くでよく見たらひとつひとつがちゃんとドクロマークだった、って読んだ。そういうのあるじゃない? ドットだと思ったら実はなにかのイラスト、モチーフだったってやつ。
《う》あー、そっか、このドクロが〈あなた〉に属するものとして読まないと、〈あなた〉がどこから出てきたのかわかんなくなっちゃうね
※歌の輪郭をつかんだらしい漆原※
〔の〕うん。で、よく見たらドクロだったと。ここに加減のできなさ、みたいなものがやっぱりあって、あえて作者って言うけど、作者が心惹かれるものって加減できてないものだと思うのね。だってかばんの歌*7もさ、小さいかと思えば今度はでかすぎてさ、加減できてないじゃない。ちょうどよさを選びとれない、あるいは選んでないわけでしょ。
ドクロマークも、水玉には寄せてきてるんだけど、やっぱ選ぶのはドクロマークなの。
《う》柄として、ほんの少し過剰だよね。
〔の〕うん。だからそのドクロマーク柄を身に着ける〈あなた〉への心寄せが、〈あなたが好きだ〉ってところで完全に発露したんだなって思った。かばんの歌は、かばんが小さかったり大きかったりする揺れに合わせるように、主体もまだ〈どきどきさせる〉というところにとどまっていて、その胸の高鳴りに読者は共鳴しやすいと思うのね。でも、「ドクロマーク」という過剰さがしっかり捉えられたから、主体は〈あなたが好きだ〉って自覚できて、読者はその到達においていかれる気がする。
《う》振り幅とか変化球をもっている人が好きなのかな。
〔の〕というのが確認されたので、主体の心寄せるものが一貫してることにすごく清々しさを感じました。歌そのものの内容がよかったというよりは、対象への態度の一貫性にぐっときたところがあると思う。
それにしても主体というか作者は「見てる」人だなと思うんよね。かつ映像的な視覚の人という印象です。
つづく